詳細解説
業界別IoTシステムの活用例
自動車

第1回
CASEトレンドで進化するクルマを、“社会を見守る目”に活用

さまざまな現場に散在する価値あるデータを収集する役割を担っている情報機器が、IoTデバイスです。
しかし、多くの場所に設置するためには相応の手間や費用、時間が必要になります。
これを解消する手段として、自動車など移動能力を持つモビリティをIoTデバイスとして利用しようとする動きが出てきています。

今回は、クルマの“社会を見守る目”としての可能性を、「CASEトレンド」や活用事例と合わせて解説します。

ありとあらゆる業界・業種の企業で、データを活用した新ビジネスの創出や業務の効率化が進められています。製造業や小売業、金融業のように古くからデータ活用が進められてきた領域だけでなく、農業や建設・土木、エンターテインメントといったデータ活用とは縁遠かった領域でも、デジタルトランスフォーメーション(DX)に取り組む動きが出てきています。企業が激しいビジネス競争を勝ち抜くため、さらには社会が直面する困難な課題を解決するため、DXは欠かせない取り組みになったと言えるでしょう。

効果的なDXの実践に向けて大前提となるのが、質の高いデータの収集です。SNS上でやり取りされる情報やCADで作る設計データ、POS端末で収集する販売情報のように、初めからデジタル化されたデータならば、蓄積・加工・解析は比較的簡単です。しかし、より付加価値の高い情報を含むデータは、往々にして、従来の情報機器や人手では収集しにくい場所で得られるものです。例えば、工場の製造装置が故障する前兆となる異常な振動や稼働音、道路の路面の荒れや橋梁の軋(きし)み、田畑の肥沃さなどに関するデータが、貴重で価値ある情報の典型例だと言えます。これらはいずれも現場にアナログデータとして散在します。いかにして有効的かつ効率的に収集するかが、効果的なDXを実践するうえでのカギになります。

モビリティを利用して広域に潜む価値あるデータを収集

さまざまな現場に散在する価値あるデータを収集する役割を担っている情報機器が、IoTデバイスです。情報収集したい場所に設置し、適切なセンサーで収集したデータを、ネットワーク経由でクラウドに伝送します。一般に、より多くのIoTデバイスを設置するほど、より価値の高い情報が得られる可能性が高まります。しかし、多くの場所にIoTデバイスを設置するためには相応の手間や費用、時間が必要になります。このため一般的には、設置場所を最小限に絞り込んで情報収集の選択と集中を図ることになります。

「広範囲の場所に潜むデータを漏れなく収集したい。でも、大量のIoTデバイスを設置することは予算上困難」。そんなジレンマを解消する手段として、自動車など移動能力を持つモビリティをIoTデバイスとして利用しようとする動きが出てきています。特定の場所に据え付けるタイプのIoTデバイスは、設置された現場のデータしか収集できません。これに対し、移動型のIoTデバイスならば、より広域の現場を対象にした情報収集を、1台のモビリティでカバーできるようになります。

CASEトレンドで、クルマがIoTデバイスへと変わってきた

現在、自動車産業では、「CASEトレンド」と呼ばれる技術革新に沿った、100年に一度の大変革が進行中です。CASEの「C」は常時ネットワークに接続する「コネクテッド(Connected)」、「A」はドライバーの運転操作を補助・代行する「自動化(Autonomous)」、「S」は車両を社会で共有するモビリティサービスの提供「シェアリング&サービス(Shared&Services)」、「E」は動力源を内燃機関から電気モーターに変える「電動化(Electric)」です。CASEトレンドとは、この4つの変化を同時並行的に起こすことを指します。CASEトレンドが進展するにつれて、クルマに多数のカメラや多様なセンサー、さらには高性能な無線通信機能が搭載されるようになり、結果的に自動車が他に類を見ないほど高度なIoTデバイスへと変貌しつつあります。

近年クルマに搭載されるようになったカメラやセンサー、無線通信機能は、もちろんクルマのコネクテッド化や自動化などを目的として搭載されています。ただし、それらでリアルタイム収集している情報は、クルマが走る周囲の環境の状態や変化などを反映した貴重で価値あるものばかりです。クルマの走行に利用するだけではもったいないと考える人が出てきても無理はありません。しかも、複数台のクルマで収集した情報をクラウド上に蓄積すれば、社会全体で起きているありのままの出来事を反映した、集合知を含むビッグデータとなります。

現在、自動車業界で取り組まれているCASEトレンドの進捗状況を鑑みれば、次世代車向けのカメラ、センサー、無線通信機能は、データ収集専用に開発された据置型IoTデバイスよりも、ずっとハイスペックになる可能性が高くなる見通しです。400兆円もの世界市場を相手にビジネスをしている自動車業界は、据置型IoTデバイスを開発・製造する組込みシステム業界よりも、2ケタ大きい開発投資を行っており、しかも量産効果によるコストダウンも急激に進む可能性があります。社会の情報をリアルタイム収集するための移動するIoTデバイスとして、極めて高い潜在能力を持つ次世代車を利用しない手はありません。

社会の情報が蓄積し続ける「パンドラの箱」は開いた

既に、クルマに搭載したカメラやセンサーをIoTデバイスとして活用する取り組みが、自動車メーカーや公共交通・物流サービスの提供会社、自治体などの手で、複数始まっています。いくつか例を挙げて見たいと思います。

トヨタ自動車は、走行中の車両の速度や位置、走行状況などの情報を、テレマティクスサービスを通じて収集し、リアルタイムでの交通情報や交通量マップの提供に活用しています。例えば、災害発生時に、実際にクルマが走行できた実績のある道路を指し示したり、避難所までのルートの誘導といった情報を提供したりしています。同社製のクルマは、市場で稼働している台数が多いことから、収集した情報は質と量の両面で価値が高く、多様な用途での活用が期待されています。

三井住友海上火災保険とアーバンエックステクノロジーズは、自動車保険向けに搭載しているドライブレコーダーのカメラで撮影した映像情報から、路面の状態を把握し、自治体や道路修繕事業者に道路などのメンテナンス支援情報として販売しています。この情報サービスを利用すれば、自治体などは、高額な費用をかけてパトロール走行しなくても広範囲の路面情報を把握できます。品川区、尼崎市など12の自治体で実証実験を行い、道路損傷箇所の高い検知精度が得られることを実証。商用サービスの提供を開始し、既に愛知県田原市などが利用しています。

また、三井住友海上火災保険は、元々、ドライブレコーダーによる事故発生通知が可能な自動車保険を商品化しています。同じレコーダーで収集した情報を別の用途にも活用し、新たな収益源としても利用しようとする試みです。

ビーコン(電波発信器)による高齢者や子どもの見守りサービスを提供するottaは、「動く見守りスポット」としてタクシーを活用しています。タクシーの後部座席に据え付けられたお客様向けタブレットに無線通信機能を組み込み、街中を走り回るタクシーをビーコンの“動く基地局”として利用。これによって、高齢者などが保有する端末のビーコンから発信される位置情報を漏れなく受信し、キメ細かい見守りを可能にするものです。このサービスのベースとなった東京電力ベンチャーズが提供していたIoT見守りサービス「tepcotta」では、公共施設や民間施設に据置型の基地局を設置していました。しかし、どうしても基地局の設置数が限定されてしまうため、見守り網に漏れができる可能性がありました。動き回るタクシーを基地局とすれば、こうした欠点を解消できます。

タクシーと同様に、路線バスやゴミ収集車を、社会を見守る“動くIoTデバイス”として活用しようとする機運も高まっています。路線バスやゴミ収集車は、人が住んでいる地域を中心に、決められた時間に、決められた場所を定期巡回するため、社会の情報を収集する手段として利用しやすいからです。

慶應義塾大学は、藤沢市と共同で、市内を巡回するゴミ収集車にさまざまなセンサーを搭載し、街の情報を集めて活用する実証実験を実施。PM2.5の飛散状況などの環境情報を収集して、市民に公開しました。藤沢市内には環境省が推進する大気汚染物質の監視装置について、一般環境大気測定局が4カ所、自動車排出ガス測定局が1カ所に設置されていますが、分解能の高い精緻な情報は把握できませんでした。そこで、藤沢市内の約100台のゴミ収集車に、GPSや温度、湿度、角速度、加速度、地磁気、気圧、照度、PM2.5を収集できるセンサーを設置。センサーで収集したデータを1秒間に100回アップロードし、ネット上で公開している地図上にリアルタイム表示できるようにしました。

クルマをIoTデバイスとして活用する動きは、米Googleや米Appleなどの巨大IT企業にも見られます。これらの企業の多くは、自社の製品やサービスを利用するユーザーの行動データから価値ある情報を抽出し、その情報を活用した高収益ビジネスを展開しています。そして近年、これらの企業の中から、自動運転車など次世代車の開発に取り組むところが出てきています。これは、移動して社会の情報を吸い上げるIoTデバイスとしてのクルマの可能性に気づいているからです。これらの企業は、既にスマートフォンビジネスを展開することによって、個人の行動履歴を追跡できるIoTデバイスを獲得しました。クルマは、スマートフォンと並ぶ、場所と時間に紐づいた価値ある情報を得るための有力な手段になり得ると考えているのです。

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プロフィール

伊藤 元昭氏 株式会社エンライト 代表

技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、コンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動などを経て、2014年に独立して株式会社 エンライトを設立。