詳細解説
業界別IoTシステムの活用例
医療

第4回
IoT/AIで病院外でも高度な医療・ヘルスケアを、人生100年時代のQoL向上

人生100年時代が到来。健康で活発に動ける時間を長くし、人生の質(Quality of Life:QoL )を高めることが、多くの人にとっての望みになりました。IoT/AIといった高度なICTは、こうした要求に応える医療・ヘルスケア領域のサービスに革命を起こす技術になりそうです。

今回は、医療・ヘルスケアにIoT/AIを活用することで実現すること、さらには高度なICTを駆使した将来の医療・ヘルスケアサービスの姿とその実現に向けた課題を解説します。

健康管理に対する意識向上と医療技術の発達によって、「人生100年時代」が到来しています。厚生労働省が開示している簡易生命表(令和4年)によると、2022年時点での日本人の平均寿命は、男性が81.05歳、女性が87.09歳であり、100歳以上の高齢者は男女合わせて9万2139人に達するそうです。確かに100歳までの長命は珍しくなくなっています。ただし、例え長生きできたとしても、寝たきりだったり、病気で苦痛の毎日を暮らしていたりでは幸せな老後とは言えません。健康な状態を維持して、QoLを向上させることこそが大切なことではないでしょうか。

QoLの向上は、個人の望みであるだけではなく、近未来的な社会課題の解決に欠かせない価値観になってきています。日本における年金・医療費・福祉などに投じる社会保障給付費は、2023年時点でGDP比23.5%に当たる134兆3000億円にも達しています。そのうち約4割が公費で賄われており、これが国家財政を圧迫しています。しかも高齢化が進むにつれ、右肩上がりで増大していくことが確実なため、医療費の削減に向けた病気の予防と重篤化の防止は至上命題です。

出所:厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html

難病を治し病気を完治させる医療技術の進歩は改めて言うまでもなくとても重要ですが、これからは、QoLを向上させるため、日々の健康管理や未病の早期発見など、病気にならない・重篤化させないための取り組みがより重要になってきます。

IoT/AIの活用で、病院外の多くの人に高度な医療サービスを提供可能に

ただし、一般的な生活者が適切に健康管理することはそれほど簡単ではありません。理想的には、医師や栄養士、トレーナーなどの専門家の意見を聞きながら、一人ひとりの体質・体調・生活習慣に合わせた管理が必要ですが、現実的には、万全の体制で健康管理できる人は極少数だと思われます。より多くの人が、継続的で効果的な健康管理と、不調時の早期対処ができる環境を整えるため、ICT、特にIoTやAIに関連した技術を積極的に活用する動きが進んできています。

これまでの医療やヘルスケアに関連した技術やサービスは、患者や管理対象者に直接触れ合いながら検査・診断・治療・予後観察することを前提にして、仕組みや制度が作り上げられてきました。この仕組みでは、病院などで専門家が問診して得られる情報があくまでも自己申告された情報に過ぎないことや、どんなに高度で精密な検査をしても、施設内にいる状態での結果しか得られないことが課題でした。さらに、医師が適切な薬を処方し、トレーナーや栄養士が運動や食生活のプログラムを作っても、その服用・実践はあくまでも自己責任で、専門家は、指示した通りに行われていることを信じるしかありませんでした。

ケガや病気の原因は、常に病院外の日々の生活や活動の中にあります。また、治癒の遅れや予想外の重篤化、ヘルスケアの効果が出ない原因の多くは、病院の外での患者や管理対象者の独善的行動で決まっている可能性があります。このため、原因を探る上で、医者などの専門家は日常的な暮らしと健康状態に関する正確な情報と、想定した処置が正しく行われているのかを知りたがっているのです。

近年、ICTの進化によって、必ずしも相手が目の前にいなくても、高度な医療・ヘルスケアサービスを提供できるようになりました。たとえば、スマートウォッチのような、活動量や生体情報をリアルタイムで常時モニタリングして記録するIoTデバイスの普及。それらから得られる情報は、病院などでの検査に比べれば、検査項目も少なく、精度も低いものです。しかし、これまで専門家にとってブラックボックス領域であった日常生活の中での健康状態や活動状況を知ることができます。こうした情報を勘案して診断や治療、ヘルスケアなどの方針決定に役立てれば、健康管理の精度を劇的に高めることができます。

また、AIを活用することによって、専門家だけが持つ知見やスキルを、ICTシステムで代替できるようにもなりました。

AIは、膨大なデータの中から一定の傾向を見つけ出すことにおいては、人間をはるかに超える能力を持ちます。このため、世界中の医療機関から集めた臨床データや学会論文に書かれた知見などを統合したビッグデータを基に、医療やヘルスケアの権威を上回るような診断や処置判断の指針を提示できます。AIを活用して専門家を支援できれば、名医・名トレーナーと同等以上のケアを、より多くの人に安定的に提供できます。先進的な医療機関の中には、既にこれらのAI活用の実践により、成果を上げているところも出てきています。

患者に常に寄り添って目配りし、同時に医師など専門家の判断も支援

では、医療やヘルスケアの領域でIoTやAIを活用することによって、具体的にどのようなことができるようになるのでしょうか。想定されているいくつかの利用シーンについて、既に実現している例と併せて紹介します。

まず、IoTを活用して日々の生活習慣や活動量を把握することで、医療機関による正確な診断・処置やヘルスケアの専門家による的確でタイムリーなアドバイスが可能になります。前述した、現在発売されているスマートウォッチでは、活動量や睡眠の量と質、脈拍、血中酸素濃度、心電図、体温などを常時測定できるようになりました。さらに専門的な医療用ウェアラブル端末を利用すれば、血圧や血糖値なども測定可能です。

ただし、手首に巻いたデバイスから得られる情報の種類と精度には限りがあります。そこで、コンタクトレンズや衣服、さらにはベッドやトイレなど、体に密着させて利用している日用品を生体情報収集用デバイスとして利用する試みが出てきています。

IoTの活用によって、これまで捕捉困難だった病気を発見するような成功例があります。例えば、起立性調節障害と呼ばれる病気には、早朝に血圧が異常値にまで落ち、午後には血圧が正常値に戻る症状があります。このため、午後に病院に行って検査しても発見できません。ウェアラブル端末を利用すれば、確実に捕捉できます。また、スマートウォッチで収集した生体情報をクラウド上のAIで解析し、AIトレーナーがその人の体調や生活習慣に合ったトレーニングや食事を提案してくれるサービスもあります。さらに、医科大学が、スマートウォッチで収集した数多くの人の心電図や脈拍などの情報を活用して大学病院内だけでは集まらないほど膨大なサンプルを基に臨床研究している例もあります。

医師の目の届かない日常生活の中での服薬を支援するシステムの開発と活用も始まっています。薬を飲み忘れたり、自己判断で服用を中止してしまったりする人は多くいます。また、複数の薬の飲み合わせで体調不良を起こす場合もあります。こうした状況を防ぐため、服薬時間になるとLEDが自動点灯して患者に服薬を促す服薬支援容器や、服薬後に体内で溶けた際に微弱な信号を発生させて携帯電話経由で正しく服薬したことを医療機関に伝えるIoT錠剤が実用化されています。

AIベースの画像認識技術を活用して、X線写真やCT、MRI、超音波エコーなどで得た画像から、専門家でも見逃してしまうようなわずかな病状を見つけ出すAI画像診断支援技術の活用も始まっています。これまで、精密検査した画像を基に確定診断を下すのに、熟練した専門家の不足から、何日も順番待ちが起きていました。AIを活用すれば、迅速な対処が可能になります。同様の技術は、被験者への負担を軽減するためにも利用されています。体の断面写真を撮影するCTでは、精密な検査をするために高画質画像を撮影しようとすると、被験者にX線を繰り返し当てる必要があるため、単純なX線写真の500倍(10mSv)もの放射線被曝をしてしまうことがあります。AIを活用すれば、低線量CT撮影による低解像度画像を対象に正確な診断を下せます。

さらに、高精細な画像や生体情報の高速伝送が可能になったことで、遠隔医療も可能になってきました。診療報酬の改定によって、2018年からは制度面でも遠隔診療が可能になり、専門医による手術支援や手術後のケア支援、過疎地への診療のほか、在宅患者の診療や妊婦健診など幅広い医療分野で遠隔診療が行われるようになりました。

ロボティクス技術が進歩したことで、技術的には、遠隔手術も可能になりました。手術ロボットを利用した手術は、切開部を最小限に抑えることが可能で、人間を上回る繊細な動きによる精密手術が可能になると言われています。近年では、ロボットを操作して患部に触れた際の感触を、操作する医師に伝える触覚フィードバック技術を利用し、手探りで高度な手術を行う名医の技を遠隔手術でも適用可能になってきています。

人の体をデジタルツイン化して最適治療法を探る

医療・ヘルスケアの領域でのICTの活用は、今後どのような方向へと展開されていくのでしょうか。さまざまな目的に向けて、多面的アプローチからの新技術投入・新応用創出が進められていますが、ここでは、未来の医療・ヘルスケアのシーンを感じさせる先鋭的かつ象徴的な取り組みを紹介したいと思います。1人ひとりの現在の体の状態をデジタルモデル化して医療・ヘルスケアに役立てようとする、人のデジタルツイン化に向けた技術開発です。

工場設備などの運営において、メンテナンスの効率化や生産性向上のためにデジタルツインを活用する動きが出てきています。デジタルツインとは、装置や設備の機能をデジタルモデル化し、そこにセンサーで収集したリアルタイムでの稼働状況や状態に関するデータをインプットし、仮想空間上で現実の装置を再現する技術です。デジタルツインを使えば、時の流れを速めて故障が発生する時期・部位を予知したり、現実世界では試せない稼働条件を試して高い生産性を実現する方策を探ることができます。同様の技術の適用範囲が、人間の体にも広がりつつあるのです。

人の体は千差万別で、実績のある治療法が、患者個人の体質や病状に合わず効果が得られないといったことがよくあります。このため医師は、さまざまな治療法を試して最適な方法を探ります。しかし、一か八かの要素が多分にあり、最適な方法に行き着くのに時間がかかるため、その間に病状が進んでしまうこともあります。患者個人の遺伝子データや検査データなどを統合して作成したデジタルツインを利用すれば、仮想空間上でさまざまな治療法を試して効果を検証し、迅速に最適な治療法を見つけ出せる可能性があります。

現在、こうした人体のデジタルツインを作る試みは、体全体を対象にできる状態ではありません。しかし、特定の臓器の限定的な機能や働きの再現が可能になってきています。研究の最前線では、脳の働きをデジタルツイン化し、検査装置で観測した微弱な脳の信号から寝ている人が見ている夢を画像化できるレベルにまで達しています。

セキュリティや法整備、人材育成など実用化に向けて解決しておくべき課題も多い

医療・ヘルスケアの領域に革命を起こすほどの効果を期待できるIoT/AIの活用ですが、その実用化に向けては、解決しておくべき課題がいくつかあります。

まず、セキュリティの向上です。IoTで収集する生体情報は、個人情報の極みと言えるような機密性の高いデータとなります。無線やインターネットなど、便利な伝達手段だが漏洩しやすい技術を補完する高度なセキュリティ技術の適用が必須です。

また、病気の診断や治療などの医療行為に関連したIoT端末やAIシステムの実用化には、薬事法など医療関係の法制度に準じた認可が必要になります。また、近年では規制緩和が進んできていますが、遠隔手術のように医師が直接患者に触れない状況での医療行為を行うためには、新たな法整備が必要になる場合もあります。

さらに、医療・ヘルスケア業界に、IoTやAIなどICTに精通する専門家が少ない点も課題です。ICT業界側から、この業界の専門家の価値観、技術的背景に即したICT活用の要諦を支援する活動が求められています。

こうした課題がある一方で、医療・ヘルスケアの領域でデジタル化が進むことで、他業界とのビジネスの融合が進み、リアルタイムでの健康状態や生活習慣に即して保険料が変わる生命保険や医療保険といった新ビジネスが登場する余地もあります。医療・ヘルスケアでのICT活用には、まだまだ開拓と進化の余地があり、社会的意義の面からも産業振興の面からも今後の発展と成長が大いに期待されています。

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プロフィール

伊藤 元昭氏 株式会社エンライト 代表

技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、コンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動などを経て、2014年に独立して株式会社 エンライトを設立。